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お米も飯碗も「背景」や「本質」を
知ることが大切

 宗像窯の先祖である宗像出雲守式部が、福岡県宗像大社の神官として、会津本郷町(現会津美里町)に移り住んだのは767年(奈良時代)のこと。宗像窯の創窯は1718年(享保四年)といわれ、およそ300年の歴史があります。今回は、その歴史ある宗像窯八代目、宗像利浩様に、お米をより美味しく食べていただく為の飯碗選びなどのお話を「お米と飯碗」というテーマで伺いました。

ご飯が美味しくなる「飯碗」の選び方 | 会津本郷焼宗像窯 宗像利浩様 インタビュー

和食器は「持つことを前提に作られた器」

 今、器を手に持って食べる文化があるのは世界中で日本しかありません。和食器は洋食器と違い、「持つことを前提に作られた器」であると言えます。しかし、その日本も欧米文化の影響で、徐々にフォークやナイフを使うようになり、器を持たない人が増え始めています。

 ご飯を食べる器を「飯茶碗」と言いますが、本来は「飯碗」と言います。お茶を飲むときは口に器を当てて飲みますが、ご飯を食べるときには、口に器を当てて食べないと思います。飯碗は、片手で持ち食べますので、重たくならないように「重さのバランス」を考え作られています。片手で飯碗を持ち、繊細な木の箸で食べ、箸置きを使う。その日本の食文化の基本が現代は失われつつあり、今、もう一度、「なぜ、飯碗なのか?」「なぜ、箸で食べるのか?」「なぜ箸置きが必要なのか?」という原点に立ち返った問いから日本の食文化を考える時だと思います。

飯碗は手に取り、五感で感じで選んで欲しい

器選びについてヒントをいただけますでしょうか?

 みなさんは、器を選ぶ時は見た目を重視されると思いますが、器の本質を考えるなら、手にとって五感で感じて、自分に合う器を選ぶべきです。例えば、お子さんの飯碗を選ぶ時、ご両親が買ってきて与えることが多いと思いますが、できることなら、お子さんに手に取らせて、お子さんが自ら合う飯碗を選ぶべきだと思います。

 昔は、器は大事なものであり、質の良い器をもとめ使い、傷がついた際には、漆で修正し、長く丁寧に使用することが習慣としてありました。日本人の美徳のようなものですね。高度経済成長の大量生産の時代が訪れ、器も手頃なものを購入し、壊れたら同じような代替品を買う傾向がありましたが、現在はまた、以前のような「丁寧な暮らし」を求め、実践する方も増えてきたので、器の選び方も見直されていると思います。

ご飯が美味しくなる「飯碗」の選び方 | 会津本郷焼宗像窯 宗像利浩様 インタビュー

お米も飯碗も「背景」や「本質」を知ることが大切

読者の方へのメッセージをお願いします。

 例えば、器の重さの話ですが、見た目がとても重そうに見える器が、持った際にイメージしていた重さより軽く感じた場合、実際に重量が軽い器より感覚的に軽く感じることがある「見た目と重さの錯覚」などの話を交えながら、お客様に五感で感じることの大切さ、そして、器の背景や本質を知ることの大切さを伝え、器選びをして頂いております。

 同様に、お米にも背景があると思います。会津産コシヒカリは美味しい米ですが、「なぜ、美味しいのか?」という問いから、会津米の質を引き出してくれる良き使い手が増え、会津の恵まれた風土や気候を知っていただき、会津産コシヒカリを選んでいただく方が増えると嬉しいですね。美味しいお米と五感に合う飯碗で、日常の食卓がより良いものになることを願っています。

ご飯が美味しくなる「飯碗」の選び方 | 会津本郷焼宗像窯 宗像利浩様 インタビュー
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